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明日は中間発表

新たに大学院に入学し、研究を進めて4か月が経過した。

指導教官とは都度都度ミーティングを重ね、自分なりに先行研究や文献を読み重ねてきたつもりだったが。

1年間で大学院を、それも全く下地のない分野で修了するというややいかれたタイムスケジュールに焦り、研究テーマを洗練する前に、とりあえずデータ取っとけ!とデータを取ってしまった。

データを取ればなんとかなる・何かをした気になるから。

 

昨日他研究室の教員・院生と議論する合同ゼミで進捗発表を行ったら、当たり前ながら、研究の不安定さ、方向性の不確定さを指摘された。

そこで今日、ともかくもっと文献を整理してみなければ!と思っていたけどぼーっとして1日が終わりかけ、そんな現実が辛すぎて「研究 したくない」なんてGoogle検索をしていた。

 

そうしたら、去年の今頃にも読んでいた、以下の記事にぶつかった。

next49.hatenadiary.jp

去年の今頃は、こちらのブログの先生の下で研究できていればこんな思いはしなくてよかったのに…!なんて思っていたものである。

 

しかし現在の「つらさ」は去年のものとはだいぶ違うものであると気づいた。

去年までの状況と比べて、何が違うかといえば、テーマが本当に自分が興味のあることで、また前の研究室と違い能動的に進学を選択したので、”わざわざ1年間追加した”という思いが強い。

 

ではなぜつらいのか?何がつらいのか?

それはやはり、全く下地のない分野で研究をする、ということが想像の10倍くらいハードだった、ということに尽きると思う。

作業的にハードというわけではない。去年までやっていたことの方が、わけのわからん数式をわけのわからんGPUとかいうやつにやらせて、わけのわからん結果が出た、どうやって直せばいいんだ…なんて感じで、しかも興味がないもんだから、なんでこんなことやってんだ…と鬱になったわけである。

対して、今は、なんとなくふわっとやりたいことがあるが、それをびしっと1つの研究テーマに収束させることができていない。どうやって収束させればいいのかわからない。何を削って、何を含めればいいのかわからない。

先行研究を読んでいて、手法として何があるのかはわかった。いろんなテーマがあることもわかった。

でも、肝心の私のやりたいことは、いったい何なのか、が明らかにできない。

それなのになぜかデータを取ったのだ。

 

 

先ほどのブログの別の記事に、以下のものがある。

next49.hatenadiary.jp

「どこまでがんばったら、どれくらいデータがあったら、どんな内容の修士論文がかけたら終了できるのでしょうか。」というご質問から理解するに、研究テーマが定まっていない(理解できていない)状態なのだと思います。

(中略)

どれくらいのデータが必要なのかは、何を主張したいのかによって変わります。どれくらいがんばればよいのかは、そのデータを得るために行うべき作業の量と難易度によって変わります。ですから、結局は、何を主張したいのかをはっきりさせないと自分の研究のゴールが見えないわけです。仮に、とにかく実験をやって良いデータがでたら論文にしてみるというスタンスでも、どういう結果を期待して実験しているのかがわかれば終わりが見えない(その終わりまでたどり着くかどうかは別の話)ことはなくなると思います。

 昨日の合同ゼミで、この相談者と全く同じことを今後の課題として発表し、ブログの筆者と同じことを先生方からコメントしていただいた。

 

さらにほかの記事。

next49.hatenadiary.jp

そもそも、自分の主張を他人に納得してもらうとき科学的裏付けが必要だから、実験をしてデータを収集するのであって、実験をしてデータを収集したから自分の主張が生まれるわけではない

 そう、そりゃ、そうなんだよ。なぜか、データを集めたらテーマが絞り込めるんじゃないかと、思ってしまったわけである。

 

しかし、入学からもう4か月もたってしまったし、表題のように、中間発表を明日行わなければならない。修士論文の提出は年明けすぐだから、研究できるのはあと5か月、途中1か月も旅行に行ってしまうので、あともう、4か月しかないのである。

…まじか。自分でもその短さに驚いている。

 

一応修了ができないってことはない、だろう、とは思っているし、最悪の場合すでに修士号は1つもっているので、1年で無理だったとしても諦めて就職するつもりだ。

でもある程度、素晴らしい研究にはなれないかもしれないけど、なんとか頑張ったね、くらいの研究にはならないと、指導教官をはじめ、副査の先生方、合同ゼミでお世話になっている先生方に、申し訳ない。

し、何よりも、自分がそれを許容できないと思う。進学したことで様々なことを体験し考えるようにはなったから、後悔することはないと思うけど、ある種のくやしさが残り、プライドが多少なりと傷つくだろう。

 

いま私がつらいと思っているのは、なるほどこのプライドが傷つきかかっているのかもしれない。

そう思うと、去年までの研究でなんとか成果を上げようとしていたのも、このプライドというものを保つために必死だったからだと気づかされる。

状況が大きく変化したからそこにばかり注目していたが、結局のところ原因は同じなのか。

 

 

去年の後半くらいから、夜になれば時折不安で胸が苦しくなるようになってしまったのだが…願わくば、この不安を抱えたという経験が、のちの自分にとって意義のあることになるよう。