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私のコミュニケーションの取り方

私、結構な人見知りです。

初めて会う人とは何を話せばいいのかわからなくてテンパって、受け答えもかなりちぐはぐになってしまいます。

で、今までこれを"コミュ障"とか、"コミュ力が低い"だと思ってたんですね。特に後者。

しかし先ほど眉ティントしながら気付いたのは、人見知りから脱した後(完全にはだいたい1年くらいかかる)、少なくとも主観的には、どんな人ともそれなりに上手く会話したりコミュニケーションをとることができるんです。苦手な人とかいない。

 

これってコミュ力めちゃくちゃ高いんじゃない?

 

主観的には…って書いたけど、主観的に上手くいってるなら私としては何も問題ないことです。

そもそもコミュニケーションがうまく取れてないな…って勝手に思ってたのは私なんだし、自分ができてると思えば気軽にこっちからコミュニケーションをとるようになるというものです。

自分がダメだ…できない…苦手だ…って思っているうちは本当にそうで、そんなことを思わなくなれば現実にもその事実はなくなっているというのが持論です。

そういうわけで、"どんな人とでも割とスムーズに会話ができる"というステータスが、後に発現するにしろ私に備わっている以上、私はコミュ力が高いのだと考えられるでしょう。

 

さらに、私が23歳になってまでも人見知りを発揮するのは、そのうち話せるようになるということを知っているからではないかということにも気付いたのです。

だいたい1年経てばまともにリラックスして話せる関係になることを何度も経験しているために、初めから頑張ってコミュニケーションを取りに行こうとしないのではないか。

 

これは同時に、一回しか会わないかもしれない人に対してはきちんと接することができるという現象の根拠にもなり得るかと。例えば、接客や、グループディスカッションなんかでは逆に緊張せずに話せます。

すなわち、人見知りということにして(実際に人見知りではあるんだけど)自分を奮い立たせてコミュ力を発揮することをサボっているような感じがします。

なぜかといったら、たぶん多くの人がそうであるように、知らない人と話すのは疲れるから!だから知る/知られるまで待つ、みたいな。

 

もしかしたら世の中のみんな大なり小なり同じなのかもしれない。

でも、自分で人見知りだなあと思っていながら、新しいことを始めたり新しい環境に突っ込んでいくことに、少なくともコミュニケーションをとることに関して憂慮することなく躊躇しないことに対する理由がやっとわかった。

馴染めないかも…とか一度も思ったことない。馴染めるもん。

 

やっぱり、やればできるということを知っていると、じゃあ必要な時にやるよ、ってなりがち。